あの時の・・あの大震災・大津波・・・
2011年3月11日 あの衝撃的な津波の映像を 私は母と一緒にテレビで見ていた。
なんという出来事だ・・・・
これは現実に起こっていることなのか??? ・・信じられない・・・
人の死、突然の惨劇に見舞われた人、大切な人を突然に失った時・・・
何とも言えない気持ちで 母と語り合ったことを覚えている・
しかし、それから半年後 母も突然にこの世を去ってしまった。
だから あの東北大震災が来ると 私は
・・・この日が来ると 母が亡くなったことを思い出すのです。
修証義 第一章「総序」
〇生を明きらめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし・〇人身得ること難し、仏法値うこと稀れなり、今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし、熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり。今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞る、毫釐も忒わざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其最初より斯三時の業報の理を効い験らむるなり、〇爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に墜ちて長時の苦を受く。〇当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。