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「田原坂花音頭」

  ここ熊本県植木町に産声を上げ・・幾年月?? 

 お山の大将で人様に気を使うこともなく自由に伸び伸び?と育ててもらった(ほったらかし?)・・それを思うと 両親祖父母に本当に感謝しなければならない。 

ありがとうございました<(_ _)> 

 

・いやいやそういうことではなくて 今日のお話はここ植木町は、武士の時代の「江戸」から刀を捨てたはずの「明治」の時代になって日本国中を巻き込み多くの若者の大切な命が散った「西南の役」=「西南戦争」の最激戦地「田原坂」を有する町であるということ。


 ♪♪何の因果で 三味線 なろ~た♪・・・貝殻節の替え歌で唄ってみたが、音楽に関連した職業を一応生業とする私は、町の発展の為 何かお役に立つことは出来ないか・・と観光課の課長と話したことがあった。

が、「植木町は観光地として人を呼ばなくてもいい・・」とかそんなこと言われてガッカリしたことがあった。

 

実際 牛深町のハイヤ節や山鹿の灯篭祭りの様には行かないだろう。しかし我々も民謡「田原坂」保存会を結成し、何か出来る事はないものだろうか。「祭り」の一環を担うことが出来ないか。そう思うのである。

例えば一つの方法として 神輿を作り「薩軍」「官軍」に分かれぶつかり合う。地域ごとの戦いでもいいし職業別の戦いでもいい。みんなが一つになって町が盛り上がる。そんなことは出来ないか。町の若者達の結集と町の活性化につながらないか・・とか一応考えるのである。しかし植木町は農業圏で、農繁期と言うのがある。

 

今から10年前の3月「地域伝統文化交流」と銘打ち県内各地の郷土芸能を集め、植木文化センターで文化庁「地域文化芸術振興プラン関連事業」の補助金を頂き大々的に開催した。その時 地元植木町で埋もれた伝統芸能に是非出てもらいたいと以前ビデオで見た田原方面で行われていた『ガメ祭り?』に出演交渉をしたが「若者は農繁期で忙しく年寄りもそれを出来る者はいない」と断られた。とても残念だった。伝統文化を継承するということの難しさを実感したことだった。

 

田原坂に関しても、私が単純に考える「観光・祭り・発展etc.」ではなく‥まず「慰霊」なのである。

民謡「田原坂」全国大会、民謡「田原坂」保存会等にかかわる様になり25年が経った今 やっと・・それが少しだけわかった気がする。

 

 英霊の御霊を祀ってある「田原坂公園」の慰霊塔。広い駐車場や新築された「田原坂資料館」等 悲惨な戦場後を思わせるところは、弾痕が多数撃ち込まれた「蔵」の壁を見るほかは全くきれいな静かな場所である。私は、ここ「田原坂」の地が、少しでも明るく爽やかで 立ち寄った方々が明るい気持ちになれる・・そう花いっぱいの「田原坂」になればいいな!と思い この「田原坂花音頭」を作りました。