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恩師に会いに行く

 川井先生(旧金子先生)は、私が民謡を始めた時、一から指導して頂いた恩師である。昔からぶっきら棒でわがまま放題の私を笑って自由に育てて下さった。「Mちゃん!Mちゃん!」って姉か親の様に可愛がって下さり、先生は明るくて笑い上戸で可愛い先生だった。

 ところがある時 先生が長崎に結婚して行かれる!という事が決まった。私の母が「この縁談はとても良かけん 先生 行きなはったが良かですよ」とアドバイスしたらしく、金子先生は「お母さんが薦めて下さったから・・本当に感謝している!」いつも話される。

 川井(金子)先生夫婦はいつも仲が良くて 私と金子先生が電話していて大体話が終るとその後必ず「主人に代わるね」って旦那様と電話を変わられる。しかし・・なんと話せばよいのやら・・? はじめのうちはは「ハイ、               ・・・(先生が私の為に選んで下さった花)・・・・・ハイ」と言っていたものの いつもとなると話すこともなくなり、返事も                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・不愛想になって行った。しかしながらそんな私の事ですら ご主人様は「Mちゃんはどぎゃんしとるかね~」と話されていたそうである。誠にありがたい話である。

 しかし そんなご主人が17日(木曜日)の深夜に息を引き取られ、金子先生が18日早く私に連絡して下さったのだ。

 すぐに香典を送らねば‥と思いながら ひとことしたためようとペンを走らせているといろんなことが思い出され「イヤ 顔を見に行ったが良いのでは・・」と思いつき 20日の稽古が終わり次第車を走らせた。

  

 約2時間で諫早インターに着き そこから数分で川井家到着である。

 多美子先生は、お変わりなくお元気で・・泣くだけ泣いたのか・・明るく迎えて頂いた。

 久しぶりにご主人様(の遺影)にお会いして・・相変わらずの男前。清潔そうな優しそうな笑顔が懐かしかった。

 「もっと早く会いに来ればよかった!」 そんな考えがよぎる。

 

それでも96歳。お疲れさまでした。また多美子先生を大事にして頂きありがとうございました。

 

 しかしながら・・久しぶりの長旅?は 齢のせいか??疲れたような‥・・気がする。