今朝 早く みゆきさんからの電話。もしかして・・って頭を不安が過る。そして「・・・母が亡くなりました」と言う連絡。
ずっと ずっと会いに行きたかったのに・・・。
ご主人が亡くなって それから急に体調を崩されて・・今は、長男公夫さんが勤められる元町立病院へ入院されていたとの事。
会いに行きたかったけど 今は「コロナ・コロナ・・で病院が入院患者への見舞いを禁じていると聞きなかなか行けなかった。
満壽美さんは、60歳になって 植木二丁目公民館の民謡教室へ来られた。
すごくシャイな方で 積極的な挨拶と言うより流し台の端にいて 恥ずかしそうに・・お互い お辞儀をしたのを覚えている。
もともと音楽が好きで 歌もうまいし声もよく出て‥美人だし・・私にすると最大級の味方を手にしたようなものだった。
その後 健史を始め あさこ、みみこ 哲史、公一・・と かわいい孫を次々と連れて来て頂いた。この頃は子供たちも多く
10人を超える稽古場はとても賑やかで・・お昼もみんなで食べて 休憩時間には散歩に出かけたりお昼寝したりまた裏山の散策に出かけたりと・とても楽しい時間を一緒に過ごした。それも 孫:長男「健史」からの始まりだった。
ある時 私が声帯の手術で入院をした時、満壽美さんは毎日の様にバスに乗って熊本市内の病院まで来て下さった。しかし健康的にはどこも悪くなく・・ただ声を出さない!という条件の入院だったので室内での会話も余計に出来ず・・来ていただくには誠に申し訳ない環境であった。が、彼女の「心を尽くす」と言う思い。ご主人を始め家族にもそしてこの私にもその同じ気持ちを寄せて頂いたという事である。思えば本当に有難い真心である。「感謝」と言う言葉以外見つからないのである。
歌が好きで‥本当に最後まで上手に歌う。多くの人が多少の音程のずれが生じる時も、満壽美さんはいつも正確に音程を取りキチンと歌う方でした。
口数も多くなく…しかし内に秘める情は熱く・・。
ある時こんな話を聞かされました。
長男 公夫さんの話である。
学業の他 水泳をやられていたらしく・・昼の精一杯の活動で疲れていたのでしょう。起床の時間になっても起きないので「バケツに水を汲んで頭からその水をかけました」…との事。「へぇ~~」って驚きながら聞いていると、笑いながらもその時の一生懸命な気持ちが今も溢れそうな様子でした。
そんなひたむきに前を向いて 家族のために尽くして来られた満壽美さん。
子供たちも孫たちもとても立派に育ちましたね!
私もわずかな時間ですが、その時を一緒に過ごさせて頂きました。
とっても楽しい時間でした。本当に有難うございました。
満壽美さん
本当に有難うございました。心より感謝を申し上げます。
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ご主人様と もうすぐ会えますね!
力様にも よろしくお伝えくださいね。
大変お世話になりましたこと。それから・・・
私たちは これからも先も 元気に頑張って生きて行きます!!と
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ご冥福をお祈り申し上げます。
令和3年3月14日 本條ひで美