日本国内最後の内乱となった「西南戦争」は 今から144年前の1月29日から9月24日まで続いた。
その中で ここ植木町田原坂での戦いが最も激しかったとされ、その戦いは3月3日から始まり20日に決着するのだが、今朝の藤井会長の挨拶(話)によると「20日未明に政府軍が攻撃を始め、今頃はもう終わっていたと思われます」とのこと。そう・・午前10時頃には ここでの戦いは決着していた事になる。政府軍の犠牲者の約4分の1以上がこの田原坂の戦いでの犠牲者であったといわれ、また一日に32万発の弾丸が打ちこまれ、空中で弾丸同士がぶつかり合った「かちあい弾」と呼ばれる「弾」が今もなお近辺の土地で見つかるという。
慰霊碑に刻まれた多くの名前を見る度、やはり「田原坂」と言う地は まずそのことから考えてなければならない!とつくづく思わされるのである。